
インストラクター紹介
hide (おがた ひでひろ)
累計800時間以上の瞑想・坐禅経験
JADP認定マインドフルネススペシャリスト
国家資格キャリアコンサルタント
大学卒業後、大手旅行会社、大手ホテルチェーン、ベンチャーでの就業経験を持つ。
リーダー職、管理職の経験を活かし、現在は企業向け研修の講師業を生業にする。
大人の学びのプロとして、ロジカルでわかりやすい説明をしつつ、受講者自身の気づきを促すファシリテーションに強味あり。
わたしがお伝えする瞑想は?
メディプレで私が指導する瞑想法はズバリ「ごちゃ混ぜ」です。
と言っては少々乱暴なので、もう少し具体的にご説明をします。ベースになっているのはいわゆる「坐禅」と「ヴィパッサナー瞑想」です。これに現代風のいわゆる「マインドフルネス」の理論を加えてアレンジしています。
何度も「いわゆる」と書いてしまいましたが、おおもとは約2500年前にインドにいたお釈迦様(ブッダ)が体系化した瞑想法です。世界中にあるたくさんの瞑想法それぞれは似て非なるものの究極は同じという解釈をしています。そのためいわゆると付けてご説明をすることにしました。私が経験した瞑想法の中から、現役世代の皆さんが腹落ちしやすい内容を整理してお伝えしていこうと思っています。私自身は僧侶ではありませんので、儀式を行ったり、宗教的な意味合いで仏教を語ることはできません。ということで、メディプレでは宗教宗派に関係なく、どなたでも自由にご参加いただける瞑想という意味でいわゆる「マインドフルネス瞑想」と標ぼうさせていただきました。瞑想を通じて、本当の自分と出会う旅を楽しんでいただけますと幸いです。
わたしの瞑想経験
初めての瞑想経験は2016年です。当時は大手ホテルチェーンで勤務をしており、人生初の転勤ということで名古屋に住んでいた頃の話です。新天地ではマネージャーという役職を拝命し、初めて出会うメンバーを率いて成果を上げなければならないプレッシャーがとてつもないものでした。また、転勤の3か月前に同居していた母を亡くし、身辺整理もおぼつかないまま名古屋に来てしまいました。なんだか落ち着かない日々に“モヤモヤ”を抱えていた中、元々の趣味だった神社仏閣巡りがきっかけでとあるお寺の坐禅会情報を仕入れました。名古屋・栄の大都会の裏路地にひっそりと佇む臨済宗妙心寺派のそこのお寺は、平日19時からの坐禅会を開催していました。働く人にピッタリの時間帯ということで、私も毎月シフトの合間を縫って参加してみることにしました。1セット20分~30分くらいの坐禅なのですが、足は痺れて痛いわ、肩は凝るわ、呼吸の回数を数えろとお題を与えられても全然集中できないわで・・・。とんでもない経験でした。この坐禅の経験が生まれて初めての瞑想経験です。
この時に私が一番面白いと思った点は「人間は勝手に自動でものを考える」ということに気づいたことでした。呼吸の回数を数えるというお題があるにも関わらず、いつの間にか「今日の夕飯は何食べようかな」「明日出勤したらスタッフのシフト作らなきゃ」とか余計な雑念が勝手にどんどん湧いて出てきてしまうのです。後から分かりますが、この雑念は何年坐禅をしても無くすことはできませんし、熟達したお坊さんでも雑念は湧くようです。つまり「人間は勝手に自動でものを考える」生き物なのです。この自動運転機能があるおかげで、わたしたちはマルチタスクをこなすことができ、楽に生きることができています。しかしそれと同時に、常に何か引っかかりがある“モヤモヤ”を抱えて生きることにもなります。これが、幸福感を奪う最大の原因なのです。
話を戻します。それ以後も坐禅会に通いながら、私は他の瞑想法にも興味を持ち出し始めました。最初のうちは日本仏教各宗派を制覇することでした!天台宗の止観、真言宗の阿字観、曹洞宗の坐禅など…。このあたりはもはや趣味の世界なので深く解説はしません。
やがて私は世界に目を向けました。歴史的な経緯で仏教は大きく二つの系譜に分かれているのですが、スリランカ・タイ・ミャンマーなどに根付いている「テーラワーダ仏教(上座部仏教)」の瞑想法に興味を持ちました。せっかくなら本場のスタイルで修行をしてみようと、スリランカ「ニランベ瞑想センター」という山奥の瞑想センターの門を叩きました。電気、ガス、水道のない野趣あふれる質素な施設です。山から吹き降りる風の音、鳥のさえずり、小動物の走り回る足音など自然の中で座った経験は心を洗われる新鮮な体験となりました。このスリランカでの経験が、メディプレを思いついたきっかけになっています。また、帰国後はゴエンカ式としても知られる、千葉ダンマーディッチャでのコースも修了しました。いわゆる「ヴィパッサナー瞑想」の奥の深さにますます触れることになり、言葉にすることを嫌う坐禅よりも気づきがたくさんあることを発見しました。
坐禅もヴィパッサナー瞑想も作法はまったく違うのですが、究極のところは非常に似ています。ただ、実際に両方を経験してみて感じたこととして、現代のわたしたちが取り組むにはエキセントリック過ぎるということです。禅の話で言えば、修行期間はお風呂に入ることができません。夏場は湿度も高く酷暑になる現代日本において、何日も風呂に入らないなど不衛生極まりないことだと思います。追い込むことで自分と向き合うことを目指している訳ですが、少々過激です。ヴィパッサナーでいえば、テーラワーダ仏教の影響を色濃く残しており、例えば午前中しか食事を摂ってはいけないなど戒律に厳しい事があります。とても理にかなっているので、是非その戒律で修行をして欲しいと私も思いますがエキセントリック過ぎます。何も知らない人が突然に一日2食だよと言われたら、どんだけ空腹地獄なのだと驚愕することでしょう。
ということで、メディプレでは私の個人的な修行経験をベースに、現代のわたしたちが取り組みやすくかつ、瞑想の効果を最大限に高める内容で指導をしています。
とはいえ、私の経験だけだと主観が多く含まれてしまいますし、偏りがあってはいけないとも考えています。ということで、論拠となるものを最後にご紹介します。一つ目は『マハーサティパッターナ・スッタ(大念処経)』、二つ目は『サティパッターナ・スッタ(念処経)』という仏教のお経です。これらは仏教経典の中でも最初に作られたものです。ということで、私のお伝えするマインドフルネス瞑想は仏教ベースと言えるかもしれません。ヨガインストラクターの方などは、パタンジャリ編纂の『ヨーガ・スートラ』をベースにした瞑想法をお説きになることが多いようです。『ヨーガ・スートラ』は仏教の影響を多大に受けて作られているので内容が被る部分が多いのですが、系譜としてはバラモン教(ヒンドゥー教の前身)の経典です。
ヨガ教室のお作法とメディプレの瞑想法が多少違うと感じる方もいるかもしれませんが、依拠する経典が違うために違いが生まれていることをご了承ください。どれがいいとか、よくないとか価値判断することなく取り組んでいただければと思います。